妙心寺から北へ10分くらいでしょうか。龍安寺の門が見えてきました。
これは何門?
門をくぐってバス通りを超え、拝観料を支払い山門から入りました。
山門
山門は江戸中期の建立です。
龍安寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、山号を大雲山と称します。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承です。
禅宗が盛んだった室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺です。
境内の中心にある鏡容池を左に見ながら、方丈へ向いました。
方丈は庫裏から入りますが、手前に石段があり、その両側に龍安寺垣と呼ばれる独特なデザインの竹垣があります。
龍安寺垣
石段を登ると庫裏があります。
庫裏から入って、有名な石庭である方丈庭園へ向います。
庫裏
石庭の前に来ました。さすがに混雑しています。
方丈庭園(石庭)
いわゆる「龍安寺の石庭」は、幅22 メートル、奥行10 メートルほどの敷地に白砂を敷き詰め、帚目を付け、15個の石を一見無造作に5か所に点在させただけのシンプルな庭です。巨大な中国の山水の世界を日本人独特の感性を研ぎ澄まして写した「枯山水」の庭らしいのですが。。。最大の特徴は、「水を感じさせるために水を抜く」ということで、水を見立てられるようなものを作る。白砂も大海をイメージし、岩は島というより山でなのです。作者、作庭年代、表現意図ともに諸説あって定かではありません。しばらく正面に座って眺めていましたが、何も感じません。。。まだまだ未熟です!!!
方丈(重文)は、2度の火災で失われた後、塔頭寺院の西源院の方丈を移築したもので、慶長11年(1606年)の建築です。本来ここには狩野派に手による71枚もの襖絵がありましたが、それらは明治期の廃仏毀釈の困窮により売却され散逸してしまっています。廃仏毀釈とは本当に馬鹿げたことをしたものです。
方丈正面
方丈内部
方丈の裏に回ると「知足の蹲踞(つくばい)」があります。
知足の蹲踞
茶室蔵六庵の露地にあたる場所にあります。蹲踞は茶室に入る前に手や口を清めるための手水を張っておく石のことです。ここの蹲踞には「吾唯知足」(われ、ただ足るを知る)の4字が刻まれているが、その意味合いから石庭の石が「一度に14個しか見ることができない」ことを「不満に思わず満足する心を持ちなさい」という戒めでもあるといわれています。また水を溜めておくための中央の四角い穴が「吾唯知足」の4つの漢字の「へん」や「つくり」の「口」として共有されているのが見どころであり、そのため一見「五・隹・疋・矢」と読めます。水戸光圀の寄進と伝承されています。
方丈を出るとみぞれが降り出しました。
気温も下がり始めた気がします。
方丈前には勅使門(重文)があります。
勅使門
これは方丈同様、火災後に西源院の唐門を移築したものです。
回遊式庭園を散策していると、苔が美しい所があちらこちらにあります。
散策中にみぞれが激しく降り出したので、鏡容池を写すのを忘れて帰ってきてしまいました。
もう一度来てゆっくり散策したいのと、境内にあった湯豆腐店で湯豆腐食べたいです。
それと、石庭に再度挑戦したいですね!










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