三十三間堂の東大門から偶然見つけての参拝です。
養源院は、文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の供養のために秀吉に願って創建したものです。その後、元和5年(1619年)火災により焼失しましたが、元和7年(1621年)、徳川秀忠の正室・崇源院(江)の願いで再興されました。以後、徳川家の菩提所となっています。
正面門
参道?といえるかどうか。。。しかし木々の緑が美しく、また少し上り坂になっているのが風情があります。
本堂に到着。
本堂
この本堂は、元和5年(1619年)に破却された秀吉の伏見城の殿舎を移築したものとされています。内部は撮影禁止ですので、写真はありません。
内部ではガイドの説明があり、建物、血天井、襖絵などのことが良く分かりました。
◆血天井
関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城攻防戦で、鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し,最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残っています。同じ血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもありますが、生々しさでは養源院が一番といわれるそうです。
◆鶯張廊下
日光東照宮の眠り猫で有名な江戸初期の大工・彫刻師である左甚五郎が造ったものと伝わっています。
◆襖絵と杉戸絵
俵屋宗達作(重要文化財)のもがあり、これも伏見城で自刃した将兵の霊を供養するために描かれたものと伝えられており、杉戸の象や獅子や麒麟などを図案化した構図は、表現の奇抜さでも知られているそうです。が、私にはよくわかりません。
一番感動したものは、よく本やテレビで見る「淀殿」「江」「豊臣秀頼」の肖像画です。
この日はここで最後です。
帰ってから妙法院へ行くのを忘れたことに気づきました。また行かなければ。。。




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