2011年5月1日日曜日

豊国神社 <国宝> / 方広寺 <重要文化財>

2011年4月30日に参拝しました。

建仁寺からしばらく歩いて到着しました。

豊国神社 鳥居

豊国神社は、豊臣秀吉の死去の翌年の1599年(慶長4年)、遺体が遺命により方広寺の近くの阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され、その麓に方広寺の鎮守社として廟所が建立されたのに始まります。後陽成天皇から正一位の神階と豊国大明神(ほうこくだいみょうじん)の神号が贈られ鎮座祭が盛大に行われました。しかし、1615年(元和元年)に豊臣家が滅亡すると、徳川幕府により神号が廃され、社領は没収、社殿は朽ちるままにされ、神体は新日吉神社にひそかに移し祀られました。
その後1868年(明治元年)明治天皇が、豊臣秀吉を「天下を統一しながら幕府は作らなかった尊皇の功臣である」として、豊国神社の再興を布告し、1873年(明治6年)別格官幣社に列格されました。1880年(明治13年)方広寺大仏殿跡地の現在地に社殿が完成し、遷座が行われました。

私が訪れたのは、豊臣秀吉の祀っているからではなく、拝殿代わりになっている唐門が国宝で、しかも伏見城の遺構だからです。

唐門

すばらしい装飾の「これぞ国宝の門」です。
豊臣秀吉を特に尊敬しているわけではありませんが、一応参拝しました。

本殿


唐門の北側に有名な遺構があります。方広寺の国家安康の鐘です。
予想以上の大きな梵鐘で、重要文化財に指定されています。

方広寺は天台宗山門派の寺で、豊臣秀吉により建立されました。天正14年(1586年)、秀吉により奈良・東大寺に倣った大仏殿の造営が開始され、文禄4年(1595年)に完成しました。東大寺の大仏より大きい18mの大きさであったといわれています。しかし慶長元年(1596年)に地震により倒壊した。その後豊臣秀頼により再建されたが、寛政10年(1798年)に落雷による火災で焼失した後は同様の規模のものは再建されなかったようです。

梵鐘

この鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が、徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主とし、家康及び徳川家を冒瀆するものと看做され、大坂の役のきっかけになったとされています。この鐘は重要文化財に指定されており東大寺、知恩院のものと合わせ日本三大名鐘のひとつとされています。

国家安康の鐘

また豊国神社西側に豊公大石垣があります。大仏造営の時に造られたようで、こんな大きな石の石垣は見たことがありません。現在900メートルが残っているそうですが、大坂城の比じゃありません。これは石垣ファンなら一見の価値ありです。

豊公大石垣


次は本日のメインの三十三間堂ですが、その前に腹ごしらえ。
七条通で偶然見つけた京旭屋という蕎麦屋に入りました。
ここは蕎麦が非常に美味しかったですが、つゆがちょっと辛めです。私はもう少し甘めが好きです。

ざるそば いなりセット(1400円)

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