2012年8月11日土曜日

圓教寺 <重要文化財>

2012年8月4日に参拝しました。

当日はいい天気です。
青春18切符で姫路まで来て、そこで書写山ロープウェイセット券(1300円)を購入して、バスとロープウェイを乗り継いで到着しました。

書写山ロープウェイ

ロープウェイを降りて数分歩くと志納所があり、志納金500円を納めて入山しました。

圓教寺(えんぎょうじ)は書写山(標高371m)にある寺院で、天台宗の別格本山で、山号は書寫山(書写山)といいます。「西の比叡山」とよばれるほど寺格は高く、西国三十三箇所中最大規模の寺院で、比叡山、大山とともに天台の三大道場と並び称された巨刹だそうです。

境内図

入山してすぐに慈悲の鐘があります。自由につけるようなのでつかせていただきました。
滅多につけないので快感です!!!

慈悲の鐘

慈悲の鐘から仁王門へ至る参道は「西国巡礼の道」と呼ばれ、道の両側に西国三十三所の各札所の本尊を表した銅像が設置されています。

参道

10分ほどで仁王門に到着。下から見上げる感じで堂々としています。切妻造八脚門で、江戸時代初期の建立です。(県指定文化財) 金剛力士(仁王)像が安置されていて室町時代の作です。

仁王門

仁王門から寿量院、圓教寺会館、十妙院などを通り過ぎて10分ほど歩くと摩尼殿(まにでん)に到着しました。

摩尼殿

入母屋造、本瓦葺き、懸造の立派な仏堂です。旧堂が大正10年(1921年)に焼失した後、昭和8年(1933年)に再建されたものです。近代の再建ですが、伝統様式による木造建築で、国の登録有形文化財に登録されています。マニとは梵語の如意のことだそうです。

摩尼殿の懸造

右側の階段から正面に登ります。見事な石垣があります。

摩尼殿正面

殿内は撮影OKでした。
内陣に造り付けの大厨子は5間に分かれ、向かって左の間から広目天、増長天、本尊如意輪観音、多聞天、持国天の各像を安置されています。内部は意外と広いです。

当日は非常に暑い日でしたが、外から入る風が心地いいです。

摩尼殿内部

摩尼殿を出て、映画「ラストサムライ」の舞台になった三之堂に向います。
三之堂までは山道を5分ほどです。

摩尼殿裏 三つの堂へ

三之堂へ到着。思わず「オー」という声が出てしまいました。
(後から来た人も「オー」っと言っていました)

三之堂(左から 常行堂 食堂 大講堂)

まず右側の大講堂(重文)から。
三之堂(大講堂、常行堂、食堂)は元徳3年・元弘元年(1331年)の落雷と、永享8年(1436年)の火災で焼失し、現存する各堂は室町時代の15世紀半ばの再建です。大講堂は重層入母屋造、本瓦葺き。正面7間、側面6間です。内陣には釈迦如来と両脇侍(文殊菩薩・普賢菩薩)像を安置しているようですが、外から内陣は見えませんでした。圓教寺の本堂に当たる堂で、お経の講義や論議が行われる学問と修行の場です。

大講堂

大講堂 外陣

次は食堂(じきどう)(重文)です。正面15間、側面4間、入母屋造、本瓦葺き、総2階建ての長大な仏堂です。日本の近世以前の仏堂建築で、このように長大かつ総2階とするものは他に例がないそうです。1階は柱間15間のうち、北寄りの1間を引戸とするほかはすべて蔀戸とし、腰壁を設け、内部は円柱が並ぶ広大な1室になっています。2階はガラスケースを設置して宝物館となっており、食堂本尊の僧形文殊像のほか、寺内の諸堂にあった仏像などがここに移されています。本来は、修行僧の寝食のための建物です。
『ラストサムライ』では勝元(渡辺謙)の住居という設定で登場します。

食堂

非常に長い建物ですが堂々とした感じは無く、1階が華奢なせいか弱々しく繊細な感じさえします。

食堂 2階展示室

南側の常行堂(重文)は方5間、入母屋造の北側に正面10間、側面2間、切妻造の吹き放しの建物が接続した特異な形の建物です。屋根はすべて本瓦葺き。切妻造部分は東半部を「中門」(ちゅうもん)、西半部を「楽屋」として、中央部には唐破風造の「舞台」が飛び出しています。常行三昧(ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を回る修行)をするための道場です。

『ラストサムライ』では勝元(渡辺謙)が阿弥陀如来座像の前で般若心教を称えるシーンや、その直後の勝元とオールグレン(トム・クルーズ)との会話シーンが撮影されました。

常行堂(「楽屋」と「舞台」)

東側の常行堂部分です。階段を上がれたので上がってみました。

常行堂部分

内部には本尊木造阿弥陀如来坐像(重文)が安置されています。(撮影できました)

阿弥陀如来坐像

三之堂の東側には本多家廟所(県指定文化財)があります。姫路城主3人を含む本多家の墓所です。塀で囲まれた一画に5棟の宝形造の堂が建ち、それぞれ本多忠勝、忠政、政朝、政長、忠国の墓塔である五輪塔を安置しています。忠勝の廟堂の隣にある2基の五輪塔は本多忠刻とその子の幸千代の墓です。忠刻は姫路藩主本多忠政の長男ですが、藩主にならずに早世したため、堂は建てられていません。この墓所は日曜祝日のみ開門しているそうで、土曜日の当日は入れませんでした。

本多家廟所

三之堂から奥之院に向いました。
中央に開山堂(県指定文化財)があります。宝形造で江戸時代初期、寛文年間の建立です。本尊として厨子内に木造性空上人像(重文)が安置されています。
参拝中に住職らしき方が「初めてですか?」と話しかけてこられました。「はい」と答えると堂内を案内してくださいました。何と内陣に入れていただきましたが、正面右側に徳川家康をはじめ徳川家13代の位牌が収められていました。

開山堂

内陣から裏へ出て屋根の軒下に装飾されている力士像を見せていただきました。左甚五郎作と伝わるもので、四隅のうち一躯がありません。重さに耐えかね逃げ出したという伝承がありますが、住職は「裏手で見えないから1つごまかしてつけてないんやろ」と言われていました。

伝 左甚五郎作の力士像

同じ奥之院内には他に護法堂 乙天社・若天社(重文)があります。一間社隅木入り春日造の社殿で、檜皮葺き、室町時代永禄2年(1559年)建立です。乙天・若天は性空を守護した護法童子とされ、それぞれ不動明王・毘沙門天の化身とされています。

護法堂 乙天社(若天社は屋根の工事中)

三之堂の南側には鐘楼(重要文化財)があります。袴腰(はかまごし)付で腰組を持つ鐘楼でスマートな感じです。鎌倉時代後期の様式です。

鐘楼


帰りに摩尼殿下のはづき茶屋で、播州名物「そうめん定食」をいただきました。暑かったので冷たいそうめんが美味しかったですが、少々高めでした。


当日は姫路城お城まつりがあり、15時からパレードがあるようでバスが遅れそうだったので、昼食後早々に帰路につきました。






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