下鴨神社を参拝し、やぶそばで昼食を食べた後、やぶそばの店の前にバス停があったので、そこから市バスで上賀茂神社前までバスで行きました。
バス停は神社の一之鳥居前にあります。
一之鳥居
参道は両側が広く開けています。
参道(正面に二之鳥居)
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は上賀茂神社の通称で知られる式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社です。
賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祀っており、母である玉依日売(たまよりひめ)とその父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は下鴨神社に祀られています。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味です。
二之鳥居の左に外幣殿(重文)があります。
外幣殿
御所屋ともいわれ、寛永5年(1628)建替。法皇、上皇等の御幸摂関賀茂詣の際に使用されたそうで、葵祭の競馬神事でも使用されます。
二之鳥居を入るとおなじみの境内の風景です。
二之鳥居
境内
正面が細殿(重文)です。
細殿と立砂
細殿は寛永5年(1628)建替で、入母屋造、檜皮葺です。皇族方が行幸される際や斎王が到着されたときに使われた殿舎です。
前にある円錐形の立砂は、麗しい御降臨山である神山をかたちどったもので、神様が降りられる一種の憑代(よりしろ)です。鬼門、裏鬼門などに「清めのお砂」をまくのは、この立砂が起源とされています。
二之鳥居を入って右には楽屋(重文)があります。
楽屋
楽屋は寛永5年(1628)建替で、神仏習合時代に供僧が用いたものだそうです。
さあ、本殿へ向いましょう。
まずは楼門です。
楼門と玉橋
楼門(重文)については詳細を調べられませんでした。
玉橋(重文)は、木造反橋で高欄付です。見ればわかるか!!!
この川は「ならの小川」に注いでいます。
玉橋の奥には片岡橋(重文)があります。
片岡橋
木造廊橋で唐破風造です。短いですが、屋根つきの橋は珍しいですね!
楼門をくぐって中へ入ると、正面の階段の上に高倉殿(中門)(重文)があります。
高倉殿
廻廊部分が屋根の葺替中で、少し残念でした。一般参拝者はココから参拝します。私もココで参拝しましたが、「本殿の特別拝観中」の看板を発見!!!ラッキーです。500円を惜しまず中へ入りました。
最初に宮司に方から神社の由緒となる物語を伺い、本殿の見える中へと入っていきました。当然撮影禁止なので写真はありません。下の写真は高倉殿から写したものです。
本殿の柱だけが見えます
本殿(国宝)には左側に対になる権殿(国宝)があります。
文久3年(1863)建替、賀茂御祖神社と同じで三間社流造、檜皮葺、亀腹付きです。こちらも21年に一度修復が行われます。
こちらでは賀茂御祖神社とは違い、本殿前で参拝できました。500円払ってよかった!
楼門を出て、本殿東側には新宮神社(重文)があります。
新宮神社
若返りに神様だそうですが、その時は知らなかったので「家内安全」を祈願してしまいました。
細殿の東まで出てくると土屋(重文)があります。
土屋
これは何でしょうか?ちょっと資料がありませんが、倉庫でしょうか?
少し歩くと北神饌所(庁屋)(重文)があります。
北神饌所(庁屋)
北神饌所ですが、これも良く分かりません。
北神饌所の前をならの小川が流れています。
ならの小川
こちらも賀茂御祖神社と同様、散歩するには涼しげでとても気持ち良かったです。
ならの小川沿いに境内を出ると、社家(しゃけ)町があります。
社屋町の一角
「社家」とは、室町時代から上賀茂神社の神官が代々住んでいた住居のことで、この地域は伝統的建造物群として保存地区に指定されています。
この日は、賀茂御祖神社と賀茂別雷神社を巡ってきましたが、私は賀茂御祖神社の方が聖地的で好きです。
帰りは出町柳までバスに乗り、京阪電車で帰りました。
身も心も清められた一日でした。
















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