南宗寺(なんしゅうじ)は堺市堺区にある臨済宗大徳寺派の寺院で、弘治3年(1557年)当時、畿内髄一の実力者に上り詰めた河内飯盛山城主・三好長慶(みよしながよし)が、非業の死を遂げた父・三好元長の菩提を弔うべく、大徳寺90世の大林宗套に開山を依頼して、創建したものです。
茶人の武野紹鴎、千利休が修行をしたゆかりの寺であり、沢庵宗彭が住職を務めたこともあります。
当日はボランティアガイドの方がいらして、狭い境内を1時間半かけて案内してくださいました。ちょっと疲れました。
まずは重文の山門(甘露門)です。
山門
三間一戸、入母屋造、本瓦葺きの楼門です。上層軒裏の扇垂木、柱に粽(ちまき)を設けた禅宗様の建築で、正保4年(1647年)の建立です。
次に重文の仏殿です。
仏殿
承応2年(1653年)建立の禅宗様で、入母屋造、瓦葺き、一重裳階付きです。内部は石敷きの土間で、中央仏壇上に本尊釈迦三尊像を安置が安置されています。天井には狩野信政筆の八方睨みの龍が描かれています。
八方睨みの龍(何と撮影OK)
最近、京都の大禅宗寺院を見てきただけに、ここの仏殿は可愛らしく思えます。
仏殿の横には重文の唐門があります。
唐門
承応2年(1653年)建立です。一見そんなに古そうには見えませんが。。。
方丈の庭園は古田織部の作と伝えられ、国の名勝に指定されています。
方丈庭園
境内には千利休ゆかりの寺であることから、千家一門の供養塔があります。
千家一門の供養塔
この寺には、何と徳川家康の墓があります。
徳川家康の墓
「大坂夏の陣の時、真田幸村の奇襲を受けて輿にのって逃げ出したが、大坂方の猛将・後藤又兵衛は平野あたり見つけて怪しいと睨み槍でついた。家康はそのまま南宗寺に運ばれてで絶命したそうです。しかし死去はふせられ、家康の影武者がその後も活躍した。家康の遺体はひそかに日光東照宮へ運ばれ葬られた」という伝説があるそうです。ちょっと信じがたいですが、二代将軍・秀忠、三代将軍・家光が相次いで寺を参詣したのも、実は家康の死が起因しているとの説が伝えられています。
こじんまりしていましたが、ガイドさんの話が面白く、楽しい参拝になりました。
帰宅の途中で遅い昼食をとりました。
久しぶりに宿院の「ちく満」でせいろ蕎麦を食べました。相変わらずまったくコシの無い蕎麦で、蕎麦通なら怒り出すでしょうが、子供の頃から食べている私は大好きです。








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