今日は大津市内の国宝2寺 園城寺と石山寺に参拝しました。
朝の天気予報では午前中は晴れで昼から曇りだったので、本命の園城寺へ先に参拝したのですが、だんだん曇ってきて嫌な感じ。。。
京阪石山坂本線 三井寺駅 で降りて歩いていきます。
駅に下記の張り紙がありました。何とこの駅は幻の大津城の外堀にあったんです。大津城の遺構は何も残っていないので遺構巡りはしませんが、今日の昼食後に大津市歴史博物館へ行く予定なので、そこで勉強しましょう。(と思って大津市歴史博物館へ行ったら月曜なので休館でした)
大津城縄張推定復元図
三井寺駅から西へ琵琶湖疏水沿いに歩きます。ここから南禅寺近くまで流れていくとは驚きです。
琵琶湖疏水 取水口
園城寺の総門に出ましたがそこからは入らず、右折して仁王門を目指します。途中門の跡らしき石垣があります。まるで城のようです。境内にも石垣が多いですが、坂本が近いため、穴太衆の仕事でしょうか?
門跡?の石垣
園城寺は通称三井寺と呼ばれていて、天台寺門宗の総本山で、山号を「長等山(ながらさん)」と称します。開基は大友与多王、本尊は弥勒菩薩です。日本三不動の一である黄不動で有名な寺院で、観音堂は西国三十三箇所観音霊場の第14番札所です。
境内図
仁王門(重文)に到着しました。大門とも呼ばれ、入母屋造の楼門で、もと甲賀の常楽寺(滋賀県湖南市)にあった門を慶長6年(1601年)、徳川家康が寄進したものです。室町時代の宝徳3年(1451年)の建立されたものです。
仁王門
拝観料\500を支払って境内に入ります。
入ってすぐ右に釈迦堂(重文)があります。天正年間(16世紀末)造営の御所清涼殿を下賜され移築したもので、元は食堂として使用されていたようです。向拝の唐破風は江戸時代に付けられたようです。
釈迦堂
仁王門からの参道を真っ直ぐ進み、階段を上ると金堂(国宝)が建っています。
三井寺再興を許可した豊臣秀吉の遺志により、北政所が慶長4年(1599年)に再建したもので、入母屋造、檜皮葺きの和様仏堂です。私が今まで見た金堂の中で一番美しいと思います。
金堂
内部は当然撮影禁止で写真はありません。内陣の周りを一周まわれるようになっています。
金堂の左に閼伽井屋(あかいや、重文)があります。小堂で、慶長5年(1600年)、金堂と同じく北政所によって建立されました。堂内には三井寺の名の起こりとなった霊泉が湧出しています。この泉は天智、天武、持統天皇の産湯に使われたそうです。
閼伽井屋
正面上部には左甚五郎の龍の彫刻があります。
左甚五郎の彫刻
金堂の右手前に鐘楼(重文)があります。「三井の晩鐘」で知られる梵鐘が吊られています。この梵鐘は慶長7年(1602年)の鋳造で、平等院鐘、神護寺鐘と共に日本三名鐘に数えられています。
鐘楼
三井の晩鐘
金堂の左手前にある階段を上ると一切経蔵(重文)があります。室町時代の建築で、毛利輝元の寄進により、慶長7年(1602年)山口市の国清寺の経蔵を移築したものです。二重の屋根の跳ね上がりが優美です。
一切経蔵
堂内には高麗版一切経を納める回転式の八角輪蔵があります。堂内の装飾も華やかであったことがうかがえます。
八角輪蔵
一切経蔵から南に進むと三重塔(重文)があります。鎌倉時代末期から室町時代初期の建築で、奈良県の比曽寺にあった塔を豊臣秀吉が伏見城に移築したあと、慶長6年(1601年)、徳川家康が再度移築させたものだそうです。小ぶりな塔婆ですが、堂々としています。このあたりから雨が降り出し、写真が暗くなっています。
三重塔
三重塔の南側は唐院と呼ばれ、灌頂堂(重文)、唐門(重文)、大師堂(重文)、長日護摩堂などが建ち並んでいます。宗祖円珍の廟所ならびに灌頂(密教の儀式)の道場として寺内でも最も重視されている区域だそうです。
灌頂堂
唐門
唐門で雨宿りした後、拝観を再開。
さらに南に進むと勧学院(国宝)がありますが、こちらは事前に参拝申し込みをしていないと拝観出来ないので今回はパス。
勧学院
さらに南に進むと、観音堂の近くに毘沙門堂(重文)があります。元和2年(1616年)の建立で、極彩色に装飾された小堂ですが優美な建物です。
毘沙門堂
ココから北に戻り、金堂を越えてさらに北側に光浄院(国宝)があります。本当はココが一番見たかったのですが、こちらも事前に参拝申し込みをしていないと拝観出来ないので今回はパス。
次回は申し込みをしてココ目当てで来たいと思います。
光浄院
ちょうどお腹がすいてきたので、事前に調べていた 開運そば に立ち寄りました。
開運そば
おろしそば
昼食後、大津市歴史博物館に行きましたが閉館でした。残念!
京阪石山坂本線 別所駅 から石山寺に向いました。

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