当日は梅雨の晴れ間でいい天気でしたが、湿度が高く気温も32℃以上あったようです。
地下鉄烏丸線 北大路駅 から歩いて15分ほどで到着しました。途中、住宅地の中を歩きましたが、あちこちからお香の香りがしてきて、「京都へ来た」という感じがしました。
今回は大徳寺と3つの塔頭、そして大徳寺周辺の建勲神社と今宮神社を参拝しました。
大徳寺 総門
大徳寺は臨済宗大徳寺派大本山で、山号を龍寶山(りゅうほうざん)と称します。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は大燈国師宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)で、正中2年(1325年)に正式に創立されてました。
伽藍は勅使門、三門、仏殿、法堂がほぼ一直線に並び、これら中心伽藍の北・南・西に20ヶ寺以上の塔頭寺院が並んでいます。
山内図
総門を入ってすぐ右側に勅使門(重文)があります。
勅使門
慶長年間(1596年 - 1614年)建立の御所の門を下賜され、寛永17年(1640年)に移築されたものです。御所の門だっただけに、優雅で風格があります。ただ国宝の豊国神社の唐門と比べ優美さに欠けるかな?
勅使門の後ろには三門(重文)があります。
三門
二層の山門で、連歌師・宗長の寄進で享禄2年(1529年)にまず下層のみが竣工し、天正17年(1589年)、千利休が上層を完成させて「金毛閣」と名づけられました。利休は上層に自身の木像を安置したが、「門をくぐる者は利休の下を通ることになる」と豊臣秀吉の怒りをかい、利休が切腹するきっかけになりました。
三門の上層
三門の北側には仏殿 (重文)があります。
仏殿
寛文5年(1665年)、京の豪商・那波常有(なわ じょうゆう)の寄進で再建されました。
珍しく内部も撮影禁止ではなかったので、参拝後、撮影させていただきました。北東隅に釣鐘があります。
仏殿内部
仏殿の北側には法堂(重文)があります。
法堂
寛永13年(1636年)、小田原城主稲葉正勝の遺志により、子の正則が建立しました。天井には「雲龍図」が描かれているそうで、狩野探幽35歳の作だそうです。法堂には内部はもちろん、正面に回る事もできません。仏殿とは違い屋根が反り上がり、かっこいい建物です。正面から見れないのが残念です。
大徳寺のメイン建造物は、国宝の方丈および玄関と唐門ですが、この日は公開日では無かったので今回は拝観できませんでした。そこで常時公開されている塔頭の中から3つを拝観しました。
1つ目は大仙院(だいせんいん)です。臨済宗大徳寺北派で、大徳寺山内塔頭の中でも特例別格地とされています。(拝観料:400円)
大仙院 入口
創建は1509年。開祖は古岳宗亘和尚で、7代の沢庵宗彭和尚は沢庵漬けでその名を知られています。
内部は庭を含めて全て撮影禁止なので、写真はありません。
本堂は日本最古の方丈建築で国宝です。室町時代(1513年)の建立で、一重入母屋造です。
方丈玄関と方丈(屋根だけ)
書院は重文で入母屋造りです。沢庵が宮本武蔵に剣道の極意を授けた処だそうです。
書院
本堂で庭園を見ながらボーっとしていました。私のお寺巡りの楽しみです。庭から建物が見れないし、写真撮影もできないとなると、これしかありません。ここの庭園は有名で、本堂の裏から表にかけて、悟りに至る過程を表しているそうです。何となくそんな気が。。。。。
大仙院を出て次の塔頭に向う途中で三玄院の前を通りました。石田三成が浅野幸長、森忠政らと建立した寺院です。境内墓地には石田三成、森忠政(蘭丸の弟)、古田織部、薮内剣仲(紹智)の墓があるそうですが、常時非公開です。「三成め、こんな所に隠れていたか!」
三玄院
次の塔頭は龍源院(りょうげんいん)です。大徳寺南派の寺院で、1502年能登の畠山義元、豊後の大伴義長らが創建しました。(拝観料:350円)
まず表門は重文です。
表門
切妻造、檜皮葺の四脚門で室町時代の建立です。
そして庫裏から入ります。
入口のある庫裏
庫裏の書院前軒先に小さな庭があり、ここでホッと一息。
阿吽の庭
書院を出て奥へ進むと目当ての方丈(重文)です。ここは撮影OK(撮影禁止とは書いていない)です。
ちょっと失礼して方丈前の附玄関(重文)へ出て撮影させていただきました。一重入母屋造、檜皮葺で美しい曲線になっています。この方丈は、室町時代の禅宗方丈建築として唯一の完全な以降だそうです。
方丈と石庭
ここの庭園でも腰を下ろしてしばらくボーっとしていました。私は大仙院の庭よりこちらの方が好きです。
方丈内も撮影でき、堂内の竜の襖絵「竜の図」が睨んでします。
竜の図
方丈裏側
龍源院を出てお腹がすいてきたので、ここで一旦大徳寺境内を出て昼食と周辺を散策することにしました。
大徳寺 南門
昼食は大徳寺前の定食屋で「すき焼き定食(720円)」を食べました。ボリュームがあり満腹になりました。(写真はありません。小さい店で写すのが恥ずかしかったので)
食後、大徳寺の南にある船岡山(45m)に登りました。ここには建勲神社(たけいさおじんじゃ)があります。
建勲神社 鳥居
境内図
建勲神社は、明治天皇が織田信長公の働きに対して「建勲」の神号を与えられ、この神社を別格官弊社としてお祀りされたそうです。私には織田信長が神になれるはずがないと思いますが。。。
元々船岡山東南地区は、豊臣秀吉の頃より織田信長の霊地として守られてきたそうです。
参道
拝殿(奥が本殿)
意外と立派な神社です。
寺の境内にはお坊さんが似合います
大徳寺の北西に今宮神社があります。参拝が目的というよりは、おやつにあぶり餅を食べにきました。
でも、まずは参拝しないと。。。
中央が東門
東門から境内に入りましたが、立派な楼門(南門 1926年建立)があるので、再度入りなおしました。
南門
元々は、994年に船岡山に創建され疫病を鎮めると信仰を集めていました。その後、都に疫病が広まったとき、一条天皇が疫病を鎮めるため御祭神を現在地に勧進せられ、御霊会を催されました(1001年)。今宮という名称は、それまでこの地にあった疫神社に対して新しい宮という意味で今宮という名前が付けられたそうです。
本殿はなかなか立派です。
本殿
参拝を済ませ、お楽しみのおやつです。
あぶり餅屋は東門前に「かざりや」と「一文字屋」の2件が向かい合って建っています。
この日は「一文字屋」が工事中だったので、迷わず「かざりや」へ
かざりや
1人前(15本)500円ですが、香ばしくてペロリとたいらげてしましました。
あぶり餅(背景をボカしてみました)
店内もいい雰囲気です
美味しいおやつを食べたので大徳寺に戻って、残り1つの塔頭を参拝します。
境内の北で総見院の前を通りました。
本能寺の変で亡くなった織田信長の菩提を弔うため豊臣秀吉が建立した寺です。天正10年(1582)、秀吉が主君信長の冥福を祈るために古渓宗陳(こけいそうちん)和尚を開祖として創建され、信長の葬儀はここで(むりやり)盛大に行なわれました。墓地には、信長以下一族の墓が建ち並ぶそうです。表門と周囲の土塀は創建当時のものです。
非公開の為、入れませんが。。。
総見院
今回最後の塔頭、瑞峯院(ずいほういん)を参拝します。(拝観料:400円)
表門は重文です。
表門
戦国大名であった大友宗鱗が自分の菩提寺として1535年に建立しました。大友宗鱗はキリシタン大名としても知られており、瑞峰院にも7個の石で作られた十字架に見立てた庭があります。
ここも撮影OKのようなので、また附玄関(唐門)(重文)から重文の方丈を撮影させていただきました。
方丈
正面の寺額は後奈良天皇の宸筆になるものだそうです。
方丈前の庭園は、独坐庭(どくざてい)と呼ばれる蓬莱山式庭園で、大刈込と巨石で表した蓬萊山からのびる半島と小島に打ち寄せる荒波を砂紋で描いているそうです。
独坐庭(どくざてい)
瑞峯院を出て帰路につきます。
今回は大徳寺のメインである方丈および玄関と唐門が見れなかったので、春と秋の特別公開を狙って参拝することにします。
帰りは京阪 出町柳 まで歩きましたが、距離を見誤っていたのに途中で気づき、40分ほどかかりました。こんなことなら、北大路で乗れば良かった!
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