2011年6月11日土曜日

東大寺 <世界遺産 国宝>

2011年6月4日に参拝しました。

今回は昼食を自宅で食べてから出発しました。
東大寺は何度も来ていますが、国宝巡りを始めてからは初めてです。本当は法隆寺の次に参拝したかったのですが、いつも修学旅行生が一杯居るイメージがあり、梅雨時なら少ないかと思い来てみましたが、甘かったです。。。

東大寺は華厳宗大本山の寺です。金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺です。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁僧正(ろうべんそうじょう)だそうです。

JR奈良駅から奈良公園を横切り、修学旅行生をかきわけて、国宝の南大門に到着しました。
南大門(国宝)

南大門は平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたものです。大仏様と天竺様という建築様式を採用した建築として有名です。
大仏様の特色は、貫と呼ばれる、柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること、天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としていることなどが挙げられます。
門内左右には金剛力士(仁王)像(重文)が安置されています。これらは有名な仏師運慶が中心になって製作されたものです。






南大門をくぐると正面に中門(重文)が見えてきました。入母屋造の楼門(2階建ての門)で、享保元年(1716年)頃の再建です。中門の両脇から「コ」の字形に回廊が伸び、金堂(大仏殿)の左右に至っています。

中門(重文)

回廊の東西にはそれぞれ重文の西楽門と東楽門があります。
西楽門(重文)

拝観料(500円)を支払い、回廊内部へ入りました。
正面に国宝の金堂(大仏殿)が見えます。

金堂(国宝)

大仏殿は、天平勝宝4年(752年)に落慶しましたが、治承4年(1180年)の平重衡の兵火で焼失、大仏も台座や下半身の一部を残して焼け落ちました。その後、大仏と大仏殿は俊乗房重源(ちょうげん)の尽力により再興され、文治元年(1185年)に大仏の開眼供養、建久6年(1195年)には大仏殿の上棟供養が行われました。しかし永禄10年(1567年)の松永・三好の合戦によって再び炎上してしまします。大仏は仮修理の状態のまま、露座で数十年が経過し、江戸時代になって公慶上人の尽力により大仏、大仏殿ともに復興しました。現存する大仏の頭部は元禄3年(1690年)に鋳造されたもので、元禄5年(1692年)に開眼供養が行われています。大仏殿は宝永6年(1709年)に落慶したものです。
現存の大仏殿は寄棟造、本瓦葺きで一見2階建てに見えますが、構造的には一重裳階付きで、正面5間、側面5間の身舎(もや)の周囲に1間の裳階を回しています。高さ46.8メートル、間口57メートル、奥行50.5メートルで、高さと奥行は創建時とほぼ変わりないようですが、東西の幅は約3分の2に縮小されているそうです。建築様式は、鎌倉時代に宋の建築様式を取り入れて成立した大仏様が基本になっており、水平方向に貫を多用しています。
江戸時代の再建は資金難で当初の2/3の大きさになったようですが、奈良時代に今より1.5倍の建物を建造していたことに驚きます。
2度の戦を恨むと共に、当時の姿が見れなくて非常に残念です。


ところで、金堂の前に金銅八角燈籠という燈籠があります。大抵の人は素通りしますが実は国宝なんです。何と奈良時代創建時のものだそうです。火袋には楽器を奏する菩薩の浮き彫りがある。







金堂内には、知らない人がいない奈良の大仏様が安置されています。
正式名称は盧舎那仏像で国宝です。

盧舎那仏像(国宝)

像高は14.7メートルであり、『華厳経』に説く盧舎那仏という名の仏です。盧舎那仏は「蓮華蔵世界」(『華厳経』の説く世界観)の中心に位置し、大宇宙の存在そのものを象徴する仏だそうです。

大仏の左右に脇侍として木造如意輪観音坐像・虚空蔵菩薩坐像(重文)安置されています。
金堂内に、創建当時の金堂周辺のお堂の模型が展示されていました。東西に七重塔があります。高さは100Mあったそうで、現存する最高(高さ)の塔は東寺の五重塔(55M)ですから、信じられない高さだったでしょうね!見たかったです。

金堂で御朱印をいただき、伽藍の東側へ向います。

坂を登ったと所に鐘楼(国宝)があります。
鎌倉時代、13世紀初頭の建築です。吊られている梵鐘(国宝)は大仏開眼と同年の天平勝宝4年(752年)の制作で、中世以前の梵鐘としては最大のもの(高385センチ、口径271センチ)です。大きくて屋根の反りが美しいです。

鐘楼(国宝)

鐘楼の東側に念仏堂(重文)があります。鎌倉時代の建築で、同じく鎌倉時代の地蔵菩薩坐像(重文)を安置しているそうですが、内部は見れませんでした。東大寺では珍しく朱色が目立ちます。
念仏堂(重文)

さらに東へ行くと法華堂(三月堂)(国宝)があります。
ここは若草山麓になり、東大寺に残る数少ない奈良時代建築の1つです。創建当時は羂索堂(けんさくどう)と呼ばれ、東大寺の前身寺院である金鐘寺(こんしゅじ)の堂として建てられたもので、創建時期は天平12年(740年)から同20年(748年)頃と推定されています。建物の北側(参道側から見て向かって左側)の、仏像が安置されている寄棟造の部分を正堂(しょうどう)、南側の入母屋造部分を礼堂(らいどう)と呼ぶそうで、正堂は奈良時代の建築、礼堂は奈良時代にも存在したが、現在あるものは鎌倉時代の正治元年(1199年)頃に付加したものだそうです。
法華堂(三月堂)(国宝)

法華堂の西側に三昧堂(四月堂)(重文)があります。
三昧堂(四月堂)(重文)

法華堂の北側には、毎年3月の「お水取り」(修二会)が行われることで有名な二月堂(国宝)があります。現在の3月は旧暦では2月になることからこの名がついたそうです。
二月堂は2度の兵火を免れたにもかかわらず、なんと寛文7年(1667年)のお水取りの最中に失火で焼失してしまい、2年後に再建されたのが現在の建物だそうです。


二月堂(国宝)

二月堂のから今度は西に向います。金堂からは北西になりますが、この辺りは人通りがまばらで静かで落ち着いた雰囲気です。ここはお勧めです!!!

少し歩くと、左側に大湯屋(重文) があります。鎌倉時代の建築で、内部には最古の流浴の遺構になる鉄湯船(重文)が残るそうです。見てみたいなぁ~!
大湯屋(重文)

さらに西へ、講堂跡を横切って北へ歩くと正倉院(国宝)があります。平日であれば近くまで入れるようですが、土曜日だったので残念ながらこの距離までです。
正倉院(国宝)
門の右に屋根だけ見えています

正倉院からさらに西へ行くと、境内の北西端にあたる所に転害門(国宝)がポツンとあります。
正倉院の西側にある八脚門で、平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の大火にも焼け残った寺内で数少ない建物の1つです。


転害門(国宝)

転害門から南に歩き、最後に戒壇院に向いました。
戒壇院は、戒壇院出家者が受戒(正規の僧となるための戒律を授けられる)するための施設として、天平勝宝7歳(755年)に鑑真和上を招いて創建されたそうです。現在の建物は享保18年(1733年)の再建です。内部には中央に宝塔があり、その周囲を四天王像が守っています。

戒壇院

ここを訪れた理由は、仏像に興味が無い私が、珍しく「見たい」と思う仏像が安置されているからです。それは四天王に一人の広目天です。塑造とは思えないほどリアルなお顔を拝見したかったんです。塑造四天王立像(国宝)は奈良時代の塑像の最高傑作の1つで、国中連公麻呂の作だそうです。怒りの表情をあらわにした持国天、増長天像と、眉をひそめ怒りを内に秘めた広目天、多聞天像は、いずれも想像していたより小さかったですが、そのお顔はリアルで今にも動き出しそうでした。





さすがに東大寺の境内は広いです。結局見て回るのに3時間かかり、クタクタになって帰りました。

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