最近、山城に登ることが多くなり登山靴(new balance MO703GH)を買ったので、その慣らしがてら久々に訪れました。
近鉄 西ノ京駅 から5分ほどで南大門に到着しました。
南大門は柱五間の中央を三扉とする切妻造の門で、天平様式を模して1960年(昭和35年)に再建されました。複製の扁額が掛かっています。
南大門
南大門から正面に金堂が見えます
境内図
唐招提寺は鑑真が建立した寺院で、南都六宗の1つである律宗の総本山です。境内には多くの国宝や重要文化財の建造物が建ち並んでします。
南大門を入って正面に金堂(国宝)があります。私が奈良で一番好きなお堂です。
金堂
金堂は、奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のものです(新薬師寺の本堂は奈良時代の建築ですが、当初から本堂として建てられたものではないそうです)。寄棟造、本瓦葺き、正面7間、側面4間で、手前の7間×1間を吹き放し(壁、建具等を設けず、開放とする)とすることがこの建物の特色です。吹き放しとなった堂正面には8本の太い円柱が並び、建物の荘厳さを強調しています。
堂内には中央に本尊・廬舎那仏坐像、向かって右に薬師如来立像、左に千手観音立像の3体の巨像を安置されているほか、本尊の手前左右に梵天・帝釈天立像、須弥壇の四隅に四天王立像が安置されています(仏像はいずれも国宝)。残念ながら堂内には入れませんが、外からでも間近かで拝めます。廬舎那仏、薬師如来、千手観音の3仏は巨大で参拝すると圧倒されます。仏像に感動しない私が感動した数少ない仏像です。
金堂正面(この中に廬舎那仏が)
金堂正面の立派な柱
金堂左側から
金堂の裏側には講堂(国宝)があります。入母屋造、本瓦葺き。正面9間、側面4間。平城宮の東朝集殿を移築・改造したもので、天平宝字4年(760年)頃、平城宮の改修に伴って移築されました。東朝集殿は、壁や建具のほとんどない開放的な建物で、屋根は切妻造だったようですが、寺院用に改造されたようです。奈良時代宮廷建築の唯一の遺構として極めて貴重だそうです。こちらは堂内に入ることができ、本尊、弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)が安置されています。
講堂
金堂と講堂の東側に鼓楼(国宝)があります。入母屋造、本瓦葺き。鎌倉時代 仁治元年(1240年)の建築です。頭貫は端部を大仏様の木鼻となっており、西側の対称的位置に建つ鐘楼に対し鼓楼と呼ばれていますが、この建物には太鼓ではなく、鑑真が唐から請来した仏舎利を安置しており、そのため舎利殿とも呼ばれます。
鼓楼
鼓楼の東には南北に細長い建物である礼堂(重文)が建っています。もとの僧房を弘安6年(1283年)に改築したものです。桁行19間、梁間4間、入母屋造、本瓦葺き。中央やや南寄りに馬道(めどう、土間の通路)があり、それより北の10間分が東室、南の8間は仏堂となり、隣の鼓楼(舎利殿)に安置された仏舎利を礼拝するための堂として礼堂(らいどう)と呼ばれます。
礼堂(右)東室(右奥)
東室の北側には、趣のある土塀で囲まれています。
東室の土塀
礼堂のさらに東には経蔵(国宝)と宝蔵(国宝)があります。ともに奈良時代の校倉造倉庫で、経蔵は唐招提寺創建以前ここにあった新田部親王邸の倉を改造したものとされ、宝蔵はここが寺になってから建てられたものと推定されています。
宝蔵
経蔵
新宝蔵で仏像などの宝物を見た後、鑑真和上御廟へ向います。
御廟前の道
御廟の門
門を入ると美しい苔の絨毯が敷き詰められています。
苔の絨毯
苔の絨毯を抜けると、一番奥に鑑真和上御廟があります。神妙な気持ちでお参りしました。
鑑真和上御廟
鑑真和上御廟の西側には御影堂(重文)があります。残念ながら中には入れませんが、鑑真和上像(国宝)を安置する為に興福寺一乗院門跡の宸殿、殿上、公所、玄関などの建物を移築したそうです。
御影堂門
金堂横の売店でコーヒーを飲みながら暫く金堂に見とれていました。
いやー、やっぱりいいです。
登山靴も問題なく、次の登山は安心です。
0 件のコメント:
コメントを投稿